「世界わがこころの旅 ドイツ バウハウスからすべてがはじまった」

某友人が以前録画してくれた標題のDVDを見直したところ。というか、実は初見。NHKの番組表検索では、1996年5月18日(土)午後10時~10時45分まで放映されたとのこと。

デザイン史学者(当時の肩書は、「デザイン評論家」)の柏木博さんが、デビュー作の近代デザイン史を書いて以来あこがれていた「バウハウス」(「ものづくりの家」)の足跡を現地でたどるという趣向の海外ロケ番組。

番組では、戦間期の平和と民主主義の高揚の中、1919年国立バウハウスの建設された、ワイマール共和国の中心地ワイマールから、国からの支援を打ち切られ1925年にデッサウ市立バウハウスへと衣替えして開設された地デッサウ、女性建築家シュッテ・リホスキーが家事仕事の合理化のため最初につくりあげたシステムキッチンに名前の冠されたフランクフルト、そして、現代のメディア芸術と工芸/テクノロジーの融合を目指す研究教育機関ZKMの位置するカールスルーエまで、ドイツの各地を旅する。

ワイマールでは、初代学長ヴァルター・グロピウスが設立した国立バウハウスの建物を訪ねる。現代では、ワイマール建築大学校の建物として活用されている。また、庶民の文化的で安価な住宅提供のために開発された「ハウス・アム・ホルン」も現在も残っていて、柏木さんが訪ねるが、図面や写真で見たよりもだいぶ小さい印象とのこと。この家に現在も住んでいる人によると、「(各部屋の)レベル差が小さくゆったりとした空間」で住みやすいそうだ。リビング中心の設計で廊下を通らずにどの部屋からも直接リビングに行けるという家族中心の家の設計という点が解説される。天井の高さが部屋ごとに違い、部屋の風景が変わることが印象的ということが、柏木氏からは語られている。住宅の量産化を目指したという解説があり、工業化・産業化が庶民生活の豊かさをもたらしつつあった時代背景を想起させる。

ワイマールにはバウハウス博物館が設立されており、柏木氏がバウハウスに注目するきっかけとなった「バウハウスチェス」が紹介される。王冠や馬など具象的な表現で伝統的に表されてきたチェスの駒の、抽象的・機能的な表現を見たことから柏木氏のバウハウスへの興味が始まったという。

1925年には国からの支援が途絶え、ワイマールの右傾化もあって、町づくりの拠点になってほしいとの願いから新興都市のデッサウに招かれたことをきっかけに、バウハウスは移転し、デッサウ市立バウハウスとなる。バウハウスの学舎はグロピウスじしんが設計建築指揮したもので、現在もその建物が残る。家具や日用品の量産を目指し、生活や社会の変革を志していたことがナレーションで解説される。柏木氏がこの建物の階段をあがっていくと、踊り場にモダニズムデザイン家具の原点とされるワシリーチェア(バウハウスの教員でもあったワシリー・カンディンスキーのためにデザインされた椅子)があって、柏木氏がこの椅子に「ワシリーチェアですね」とコメントしている。

当時の教員には綺羅星のような芸術家が名を連ねる。抽象画のスイス出身のパウル・クレーが色彩論を担当、1922年に加わったロシア出身の前出のカンディンスキーが形態論を担当したほか(デッサウのバウハウス財団に残る学生作品は明らかにカンディンスキーの影響(模倣?)のもの)、彫刻家出身で演劇の改革を志したオスカー・シュレンマーがいた。シュレンマーは奇抜/奇怪な幾何学的な舞台美術・衣装のほか演出も手掛けた。

当時90歳になるヴォルフ・ヒルデブラント氏のインタビューが紹介されたが、彼は1926年に19歳でバウハウスに入学したという。もともと劇団で仕事をしていたが、シュレンマーに見いだされ、奨学金を得てバウハウスに入学した。ヒルデブラント氏は、このシュレンマーとの交流や演劇の創造はかけがえのないものと表現する一方で、シュレンマーの指示が絶対で学生は何も提案できなかったとのことで、非常につまらなかったという不満も吐いている。先ほどのカンディンスキーの模倣作品もそうだが、バウハウスの教師は、非常に強い指導力を発揮し、作品創造だけでなく、教育においても実験を強力に推し進め、学生はそれに翻弄された面もあるようだ。しかし、このように強力な指導力のもと教育と創造の実験を行うことで、バウハウスが、デザイン・美術の歴史上重要な位置を占めることとなったのも確かで、その葛藤についても柏木氏は言及する。

その後世界初のシステムキッチンとされるフランクフルトキッチンの現物が残るフランクフルトに向かい、柏木氏はその家でキッチンを実見するだけでなく、そばをつくってその家族にふるまう。半歩動くだけでキッチンの必要なものに手が届き、生ごみもばさっと長方形の排出孔に落とすと孔の中が引き出し形のゴミ受けになっていて、その引き出しをキッチンから抜けばすぐにごみが捨てられるという機能的なものである。庶民の生活の改善のためのデザインというバウハウスの思想を再確認することとなる。

フランクフルトキッチンを訪ねる旅のあと、柏木氏の独白がナレーションとして流れる。建築家やデザイナーが人間が生きる環境や生活をデザインしてしまうことは非常に傲慢で自由を束縛するものと柏木氏は最近まで考えていたが、このようなデザインがなくなってしまうと、むき出しの市場原理だけになってしまうのではないかと考えを変えたーーこのようにフランクフルトキッチン実見の旅と重ねて、柏木氏は述べる。リベラルリバータリアニズムによる環境設計やデフォルトの設計・提示の重要性が強調される現代においても、この発言は非常に興味深い。柏木氏の当時の著作「家事の政治学」が紹介されていたが、探して読んでみる必要があるかも。

その後、美術と工芸の融合・統合を目指したバウハウスの歴史をあとにして、現代のメディア技術と美術との融合・統合を目指すメディア芸術・技術の総合研究センターZKMがあるカールスルーエへ向かう。ここでは、柏木氏が撮影した写真や動画を中心にウェブを作成し公開するということが行われる。1996年という時代を考えると、非常に先進的な試みであるとともに、「このウェブを誰かに発見してほしい」という、空き瓶を海に流すかのような祈りを込めたメッセージをウェブ向けに録音する柏木氏の姿は、当時のインターネットに向かおうとする私たちの気分・気持ちを(ややくすぐったい感じをともないながら)新鮮に思い出させるものだった。

 

25年前だけど、結構勉強になるね。