VR生誕祭 at 朝日新聞社メディアラボ渋谷分室
幻の名著、服部桂著『人工現実感の世界』(工業調査会, 1991)が、その後のVRの発展も含めて、先月2019年5月『VR原論』(翔泳社)として復活した。この出版を記念して、VR生誕の日とされる6月7日、VR30周年を祝う「VR生誕祭」が開催された。本日聴講したこのイベントの記録をブログに掲載する。
なお、筆者は買い忘れたお土産を購入するべく、旧知のみなさんとご挨拶して早々にイベント終了後脱兎のごとく会場をあとにしてしまったのが心残り(さらに、無茶苦茶優秀な導き手のロボットスタート株式会社の北構さんのおかげでものすごいスピードで目的地である六本木ヒルズに到着したものの、ミュージアムショップは5分前に閉じてしまっていて、ムーミングッズが買えなかったという残念の上塗り状態、、、)。
当日参加者の方で誤字脱字や事実誤認等にお気づきであれば、ご指摘ください。
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2019年6月7日は、VR(Virtual Reality:人工現実感、仮想現実)誕生30年とされる。はじめてVRのデモンストレーションが行われたのが、01:23:45 6/7/89(1989年6月7日1時23分)だとされるからである。本イベント『VR生誕祭』(主催:東京大学バーチャルリアリティ教育研究センター機構)はこのVR30周年を祝って開催されたものである。
服部桂元朝日新聞科学部編集委員によると、1時23分45秒は語呂合わせのためのでまかせだろうとのことだが、30年前仮想的な触覚を再現するデータグローブとその触覚に対応する仮想的な3D物体を視覚的に提示するヘッドマウンテッドディスプレイを使った初めてのデモンストレーションがこの日に行われた。
データグローブの開発者は長髪のドレッド・ヘアで、民族楽器の収集を趣味とするヒッピー然としたジャロン・ラニアーである。服部氏によると、当時文字だけのコミュニケーションでしかなかったインターネットで、人と人が会って対話するようなコミュニケーションを実現したいという願いが、データグローブやHMDを開発したラニアーのVRに取り組んだ動機だとされる。
服部氏は、この初めてのデモからVRが研究開発分野として立ち上がる時期を目撃し、そのある種の非主流派的な「うさん臭さ」に非常にひかれたという。1990年2月/1991年1月には、新聞初のVR記事を発表し、1991年には、工業調査会から『人工現実感の世界』と題するVRの歴史と当時の研究開発状況を俯瞰する著作を発表した。同書は工業調査会が倒産して以来絶版となっていたが、その後のVRの発展を追加して『VR原論』(翔泳社)として再発された。
開発当初のHMDの解像度は非常に低く、判明に対象が見えるようなものではなかったという(ちなみに、この最初のHMDは、アイホン(eyephone)と呼ばれた。イヤホンが耳に密着して音を伝えるように、アイホンは目に密着して映像を伝達するものだったからとされる)。むしろハイビジョン映像と同じ解像度が実現できる部屋の内部に映像を投影して、映像が作る世界に包み込まれるような体験を実現するCABINのほうが、大きな可能性があるものとみられていたと、廣瀬通孝東京大学バーチャルリアリティ教育研究センター機構長は説明する。VRはもともとフライトシミュレータから発展し、製造業などの分野で、実物を使わずに実物を扱うようなトレーニングを行ったり、住宅やその他カスタマイズが必要な大きな商品を購入しようとするお客に対して、仮想的に住宅などの中を動き回る体験を与えたりするものだった。フライトシミュレータだけでなく、NASAが宇宙飛行士を対象に狭い空間の中での生活をより充実させるため、VRを応用しようという研究もあった。
廣瀬機構長によると、現在VR技術は30年が経過して第2世代に突入したとされる。VRの最初のデモ以前に、ユタ大学のアイヴァン・サザーランドが2本のブラウン管を使ってその映像を鏡やレンズを使って目に投影する眼鏡型の装置などを開発したが、これが第0世代とされる。現代の第2世代は、第1世代の時代から見て、技術の世代交代が進み、驚異的な高性能化低廉化が進み、また、周辺技術(とくにネットワーク環境)が格段の発展を遂げた。この結果、原理はまったく30年間変わっていないものの、HMDの映像の解像度やハンドデバイスの軽量化・小型化、装置全般の低価格化など、量的には飛躍的な発展を遂げた。これが第2世代VRである。
さらに、VRは心理学と結びついて、新しい体験を生み出そうとしているとされる。視覚と触覚とに働きかけて、普通のタブレット型PCで指を交互に歩くように動かすと、まるで雪道を歩くような触感を感じることができるYubi-TokoというUIがある。また、狭い空間であっても、ユーザーの視点とVR空間上の視点にあたるカメラの位置対応関係をユーザーが気づかない範囲でずらしていくことで、VR空間を圧縮する手法が考えられている。また、ドラムをたたく体験を行うにあたって、VR空間内の自分の服装や姿を変えると、太鼓をたたく演奏のうまさが変わってくるという研究がある。つまり、自分を何者だと思うかでパフォーマンスが変わるというのだ。また、VR空間内のインタラクションは多数の感覚の統合によって成り立っているが、この感覚統合をずらすことで、自分自身の身体の操作感覚(身体所有感と自己操作感)をコントロールできるという。
VRの応用として、バーチャルリアリティ教育研究センターでは、従来の製造業の製造やメンテナンスなどのトレーニングに代えて、サービス業のトレーニングに使用するVRソフトウェアの開発を行っているという。空港のカウンター業務を模擬するVRトレーニングソフトウェアのデモが会場では行われた。窓側の席を予約したはずだが通路側の席を割り当てられたというクレームを述べる客に対してどのように対応するか、仮想的に対応をトレーニングできる。カウンター業務のトレーニングを受けている者の対応(会話内容)によって、クレーム客の態度・反応が変わるところが、通常のマニュアルを使ったトレーニングとは大きく異なるところだ。廣瀬機構長によると、大手コンビニエンスストアが従業員トレーニングに利用する計画もあるという。つまり、従来の「もの」の扱いを中心とする製造業のVRから、「ひと」の扱いを中心とするサービス業のVRへと、産業構造の変化とともに、VRの応用も変化し、「サービスVRトレーナー」へと発展しつつある。
3人目に登壇したGOROman氏は、低価格HMDのOculus Riftと出会ったのを機に、自らの会社を副社長に任せて渡米し、同製品を発売するOculusVR社に入社し、VRエヴァンジェリストとして活躍してきた。OculusVR社と接近するにあたっては、OculusGoの開発者であるパルマー・ラッキーがすごいオタクであるということを聞きつけ、トランク一杯分アニメフィギュアをアメリカに持ち込んだとのエピソードが今回披露された。
VR用のPCをバックパックのように背負い、Oculusの最新のHMD、Oculus Rift Sとハンドセットを身に着けて、実際にどのような体験ができるのかデモンストレーションが行われた。
HMDを通して見える現実世界の上にWindowsの画面を表示し、Twitterでこの生誕祭のツイートを閲覧したり、情報検索を行うなどのことができるだけでなく、グーグルアースを使って場所を指定すると、その場所を空中から見下ろして空中散歩をするようなことができる。東京を上空から眺め、東京タワーの上から周囲を見回すというような体験が可能となる。GOROman氏は「ゴジラになった気分」と表現する。
また、グーグルストリートビューで場所を指定して検索すると、今度はその場所に行かなくてもその場所にまるで行ったかのように360度を見まわして通りの様子を見ることができる。没入型VRのゲーム「ソードオブガルガンチュア」の体験もデモされた。剣闘士となり敵の剣士と戦うこのゲームでは、剣を持ち上げるとその剣をリアルに感じられるようにハンドセットにビリビリと振動が伝わる。迫力のある3D映像とハンドセットの動きを連動させて、敵の剣士と戦うことになる。
第2部は西村真理子氏を進行役としての3人のディスカッション。それぞれのVRに取り組む原体験や、VRの未来像などが質問された。服部氏がVRの取材を始めたのはうさんくさい非主流派がまじめに技術に取り組んでいる姿にVRの将来的な可能性を感じ取ったためだとのこと。廣瀬機構長は、もともと模型と怪獣映画が好きだったことがVRに惹かれた理由だろうと自己分析する。アメリカでVRに出会い、この研究を進めてみたいと当時の指導教官(石井威望東京大学名誉教授)に相談してみたところ、この指導教官はサザーランドの試みを知っていたが、「そんなものすでに昔にやられている」と否定することなく、何か新しいことが起こっているんだろうと後押ししてくれたことが、VRに取り組み研究開発を続けてこられた大きな理由だと感謝を述べていた。GOROman氏は、結局5タイトルくらいしかソフトは発売されなかったものの、任天堂のファミコン3Dシステムを親御さんに買ってもらったことが、VR体験の始まりだという。このハードウェアを購入してもらい、当時持っていたSharp X 68000パソコンとファミコン3Dシステムとを接続し、通常のアニメーションやゲームを3Dで遊ぶということを試みたという。
VRの将来像については、廣瀬機構長とGOROman氏がブレインマシンインタフェースによって脳神経系とコンピュータやVRが直結される未来像を示した。廣瀬機構長は、VRは心理学から生理学へと一歩進めて人間とのかかわりを深めていくと表現する。これに対して、服部氏は、そうではなくコンピュータや人工物と人間との距離はどんどん近くなるものの、距離ゼロが最終的な地点だろうと想像する。つまり、コンタクトレンズ型のウェアラブルデバイスを使って映像を体験したり、目に対して直接体の外から映像を投影したりするなど、皮膚との接触が最終的なVRシステムと人間との距離になるだろうと予想する。つまり、侵襲的な技術の利用はない(または、するべきではない)と考えているようだ。
筆者も、BMIの侵襲性とそれに伴う危険性、引き返しようのなさなどを考えると、服部氏の意見に同意する。医療倫理の原則として採用されることが多い四原則アプローチによれば、危害は善行に勝るから、侵襲型VRに関しては、危害防止が最大限に行われるべきであるし、被験者の自律を尊重する必要があるうえ、法的正義(たとえば、医薬品医療機器等法など)にかなうものでなければならない。生理学的VRによる侵襲的な研究だけでなく、心理学を応用するVRにおいてもそのリアルさによって可能となる効果の大きさを考えると、危害の特定とその防止、被験者の自律の尊重など十分に研究倫理上の配慮が必要だろう。
また、寝たきりのままでもBMIでバーチャルリアリティでどこにでも行けるというGOROman氏のVR未来像から、ロバート・ノージックの経験機械の思考実験を想起する向きもあるだろう。過激な市場主義によって最小国家の可能性を考察したリバタリアニズムの哲学者としてノージックは知られる(ただし、ノージックはその後リバタリアニズムの主張を引っ込め国家のより積極的な役割を認めるようになっている)。ノージックの思考実験は、「キャプテン・フューチャー」シリーズに登場する生きている脳サイモン・ライトがどんな経験をしているかと想像するようなものだ。ノージックの経験機械の思考実験とは、幸福・快楽を脳が感じることが実際に幸福な体験することと同じであるならば、幸福・快楽を発生させる機械に脳を接続してしまえば、人間は幸福なのではないかという思考実験である。脳が幸福・快楽を感じることが実際に幸福な体験であると同じであるならば、廣瀬機構長やGOROman氏のビジョンは、もしかするとVRを利用できる人類の幸福を約束するかもしれない。廣瀬機構長によると、人間はホモ・モーベンスであると建築家黒川紀章氏は言ったものの、人間は動かなくてもよいのではないかと、GOROman氏のようなビジョンで自動車会社が研究を進めているという。それに対して、服部氏は、VRによる仮想的な体験を楽しむ一方で、将来人間はもっとより動くようになるのではないか、そもそも人間は世界に働きかけ体験することで知覚や思考・感情などが生まれ育つのだから、動かないままVR世界の体験をすることは無理ではないかとも服部氏は主張する。経験機械の思考実験への反論にはさまざまなバリエーションがあるが、直感的にはやはり服部氏を支持する。
※"はぎのぶ"りんぐリング(@nb06033)さん、服部桂さんのご指摘で、本文修正しました。どうもありがとうございます。2019年6月9日追記。
---さらに追記(2019年6月10日)
ところで、会場では、最近話題の電気刺激を与えて前庭感覚に作用して加速度を感じさせるなどの仕掛けも展示されていましたが、すごく人がいっぱいで体験に時間がかかりそうなのでやめてしまいました(そして、六本木ヒルズに向かって残念の上塗りになったと)。
疾走するバイクに乗っている感覚や、宇宙船で宇宙へと飛び出す感覚などを再現できるかも、、、と思うと、古いアニメ映画のリメイク(古い映画の映像をそのまま使って感覚だけ新しく追加。たとえば、前者ならばAKIRAあたり、後者ならばトップをねらえとかオネアミスの翼とか。ちょうどトップをねらえは、同時期に、池袋の文芸坐でオールナイト上映とかやっていましたね)などもできそうですね。
廣瀬先生のご研究は工学部らしく産業応用を目指すものでしたが、ゲームやアニメ、映画などエンターテイメントの世界をさらにVRは広げていきそうですね。映画やアニメなどがゲームと同様に体験型へと大きく変わっていきそう。