加藤尚武(2020)「AIの数学者は、唯名論者か、プラトン主義者か」

加藤尚武(2020)「AIの数学者は、唯名論者か、プラトン主義者か-プラトンからゲーデルまで」『生存科学』31(1), 3-14.

御恵贈いただいて拝読。本論文は、アプリオリな知をめぐる哲学史をまとめたうえで、総合的なアプリオリな知は不可能であって、総合的命題と分析的命題は区別できないという、クワインの結論から導かれるホーリズム批判に至る。ホーリズムじたいは否定していないのだが、ホーリズムが前提する、突然ガラッと理論や知の真理値が変わるという見方を批判する。理論や知の改訂は、ウェゲナーの大陸移動説がじわじわと正統な学説として認められたように時間遅れがあるからだ、と指摘する。そうすると、正統な学説になる前の理論は対象のない名辞を含むことになるが、この対象のない名辞が意味のあるものとして使えない限り、このようにじわじわと正統な学説が生まれることはないとする。この対象のない名辞が意味を獲得する過程を、「本当は違う」もの同士を比喩で結びつける人間の知性に着目して説明する。外延性を超えて比喩が内包的な意味を獲得し、さらに、「死んだメタファー」として何者か抽象的なものを指示する外延性を獲得することで、人間の知の創造性と時間遅れを伴いながら知識の在庫の一部として採用されていくプロセスが可能になるというような話。

本論文は、「AI時代における生」という特集の1本で、タイトルにある通りAIの数学的知が人間と同等になるための条件をさぐるというのが、この論文の大枠。解答としては、このメタファーの話からわかるように、普遍・抽象的なもの(数も含む)を実在として眺める実在論者(プラトニスト)でなければならない、というもの。

 

人間は、条件関係を同値関係と勘違いするけど(A→Bから、B→Aを導出しがち)、ハトは勘違いしないという知見について、ハトのほうが正しいと金沢誠先生(現、NII→法政大学)*1が発言したけど、その場にいた人がみんなわかってくれなかったんだよねー、と、岡ノ谷一夫先生(東京大学大学院総合文化研究科)がむかーし話してくれたことを思い出す。そのとき二人で雑談して、こういう勘違い能力が、人間の言語のシンボル性(言語と実在との対応)とをつくり出しているんじゃねーかなとか話したのを、この論文読みながら思いだした。でもまあ、岡ノ谷先生によると、そんな簡単じゃないよねーとの話だった。)

しかし、それにしても加藤先生は80歳超えて活発な知的活動を続けてらして、あらためて尊敬。すげー。

 

追記:結構誤字があったね。誤字のあったところで、あららと思ったところを解説しておくと、「正統な知識」と「正当な知識」は、前者が「正当化され真であるとして研究伝統に組み込まれた知識」、後者が「証拠や補助仮説によって正当化され、当時の学問の真理基準をクリアしている」という意味ならば「妥当な」とするべき。「A→Bから、B→A」と「A→Bから、B→C」とするのは、前者は同値関係、後者は推移律の途中(「A→B、B→Cから、A→C」が推移律)。

前者のような同音異義語の使い分けや、似た意味だけど語源が違ってさらに実ははっきり意味が違う(デカルト哲学でのevidementとclairmentとか。坂本賢三先生の演習でデカルト読んだときに「明証的に」と「明晰に」の区別を聞いたわけだけど、デカルト以外フランス語で読んでないから、あとは知らない)、同じ文字だけど読み方が違い意味が違う(種のnatutureという意味の本性(ほんせい)と、「人間の本性(ほんしょう)」とかという定型句での「ほんしょう」とか)は、ゆっくりと海外文献を日本語で理解する哲学のゼミを受けてよかったところ。学生が訳して、教員がそれを受けて訳を補って、解説して…ということをやることで、違う分野の文献の翻訳でも、結構注意深く訳すことができるようになった(自画自賛)ように思うよ。哲学役に立つ!(笑)

*1:すでに異動されていたようです。岡ノ谷先生に教えていただきました。ありがとうございます。