アルビン・トフラー、ハイジ・トフラー(1995)『第三の波の政治--新しい文明をめざして』徳山二郎訳、中央公論社.

一昨日あたりから調子が悪くなって、結局昨夜から本格的に調子が悪いので、本日学校を休んでしまったのだが、ちょうど『第三の波の政治』の古書が届いていたので、読んでみた。メディアアーティストの沖啓介さんに教えていただいた本。沖さんは、Facebookでいろいろなおしゃべりにつきあってくれるんだけど、この前も私の駄弁につきあって、この本を教えてくれた。

で、本日病院から帰ってケホケホいいながら途中まで読んだ。で、Facebookの沖さんの投稿へのコメントで書いたこと、思い付きなんだけど、Facebookのコメントには不釣り合いなほど、いっぱい書いちゃったので、こちらにも載せておこう。もしかすると、だれかまたブログのコメントでなんか教えてくれるかもしれないということで。

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第三の波の政治を読むと、第二の波の産業・職業と第三の波のそれとの比較があって、ブリニュルフソンとマカフィーの『機械との競争』や、トランプを擁護しつつ製造業の復活(比較的単純労働で比較的高い賃金を得られる産業と職種の復活)を訴える某Twitterアカウントのことを思い出していました。

社会全体で見たうえでの需要をけん引する個人消費や、個々の人々の「まあこれでよかったかな」という人生の構築と安全を考えると、某Twitterアカウントの言い分は相当に納得ができるものの、経済のサービス化・知識化(保育や介護を含むサービス部門で働く労働人口や、広い意味での知識の創造・加工・流通を担う部門の労働人口の増加)が第三の波の特徴で、これが不可避なのだとすると、むしろ『第三の波の政治』で訴えているように、低賃金で仕方がないとされているサービス部門の労働の賃金を上げていくことを考えたほうがよいという結論になりそうです。

一部のTwitter界隈で「低賃金カルテル」ということばがあって、これは、ある職業の賃金水準は需給関係によって決まるわけではなく、社会的な職業や労働の種類に対する偏見・先入見によって決まっているという見方から出てきたものです。サービス部門の仕事の低賃金っぷりというのも、そういう意味では需給関係によって決まっているわけではないように見えるので、概念的に不正確であっても、「低賃金カルテル」ということばでいいたいことは的を射ていて、サービス部門の賃金をあげる場合(だけじゃないのですが)、経済的な論理だけで考えても駄目じゃないかなあと思います。

また、上記の製造業復活の一つの意味は、労働力が交換可能なので(つまり、特定の仕事に適応が仕切っているわけではない比較的提携的な仕事)失業をしたとしても、ほかの産業、別の種類の産業でその失業を吸収できるということがありそうです。トフラーが指摘しているのは、第三の波の産業(とくに知識化が進んだ産業)では、その労働が交換可能かどうかというと、ほかの新しく勃興した産業では適応が難しいというケースが少なくないということです。

この指摘に対してはどうすればよいという処方箋がまだ出てきていない(『第三の波の政治』読み終わっていません)のですが、うちの妻が派遣労働者だったころに職業訓練プログラムに参加しても、すでに妻ができることばかりを教えていて全然意味がない(なので、手先を使うクラフトが好きな人間だったので、むしろ旋盤とか習おうかなーとか言っていました。現在も事務仕事していますが(笑))という経験があって、たぶん今後の社会でも同じようなジョブチェンジを行おうとする際の職業訓練の高度化やカスタマイズ・個別化というものが課題になりそうに思います。大学教育や専門学校への教育を受けるサポートと、失業期間での手厚い生活のサポートが必要なんだろうなあとか。

で、トフラーがそれほど悲観的ではない一方、現在たいへんな感じになっているのは、トフラーじたいは伝統的な労働組合に批判的だったようですが、ともかく労使分配率がいびつになってしまっていて、労働者(生産手段/資本をもたない人々)への分配が社会として少ないということなのだと思います。ベーシックインカムも同じ考えだと思うのですが、いったん税金として政府に集めたうえで再分配をするという考えではありますが、正社員という身分保障も含めて、企業で働く人々に対して直接的にもっと利益を分けて、ちゃんと豊かで余裕のある生活をする必要があるんだろうなあと思っています。

というような観点から、ブリニュルフソン・マカフィーの本は読みなおすべきで、失業や賃金低下も、例の本では、資本(コンピュータやネットワーク、ソフトウェア製品、SaaSなど)への投資が労働への投資よりも生産性が高いので生じていると書いていますが、結局のところ、労使分配率の是正がうまくいっていないという話に尽きるということなんじゃないか??と、『第三の波の政治』を読みつつ、ごほごほ咳して弱りながら考えました。

また、現在の働き方改革では、旧来の「時間」を単位として労働を計測するという考えを採用していますが、これは、決まった時間動かせば一定の成果が上がるという機械に合わせて働く工場労働をモデルにしていると思います。つまり、物を生産する(複製する)機械がベースの考え方。なので、現在の知識労働を行っている人々(広くは事務もそうですし、教育研究を行う人々も、クリエイターも同じ)に当てはまらないはずです。

知識経済で生きる人々は(前出の事務員も、実はトフラーの定義だけではなく、そもそも1950年代の知識経済論の定義からすると、知識労働者)時間単位ではあまりその労働を計測することができず、さしとて、「成果」というものも当てにならないので(中間生成物しかつくらないような知識労働もたくさんあって、成果が何かわからない。企業内の間接業務(これも知識労働)が典型で、しょうがないので現在は時間で計測。遊んでいるようにしか見えない行動や行為が将来的にまわりまわって重要でも、軽視されがち。これは研究なんかもそうですよね)、本当だったら、そういう仕事をする人はざっくり豊かで納得できるだけのお金をだいたい年齢や社歴などの基準で平等にあげて(人生のそのときどきの豊かな生活を支えるという発想。ただ、上記の「家族の崩壊」は実は家族を含むライフスタイルの多様化なので、「豊かな生活」のイメージがあまり収束しないので、この点でもお金の配分が実は難しいということがありそうです)、あとは特別にできる人はぐぐぐーんと稼げるようにする、というくらいしか、本当は解決がないんだと思います。

ホワイトカラーエザンプションなんかは、時間で測っても意味がない仕事に適用…ということですが、上記のように、そもそも知識労働は成果がよくわからないということを前提とすると、たぶん、またこの考え方も根本が間違っているという、結論になりそうです。

まあ、上記自分で納得するだけで、ここから先はだれかまた考えてくれやーという感じで、沖さんの投稿に追加で書かせてもらいました。

病気しながら、トフラーの『第三の波の政治』やその他の本を読んでよかったというか、『第三の波の政治』、まだ読み終わっていませんが、紹介いただきありがとうございます。夕食やら家事をする時間と、さらに、ぼーっとする時間が終わったので、また読むのに戻ります。

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で、まだ読むのにもどらず、ぼーっとしていて、今に至る。洗濯して風呂に入ろう。

奥村先生の話を聞いて(フェイクニュースシンポジウム)

先日のフェイクニュースシンポジウム(2019年3月31日、於、立教大学。報告は、4月14日のブログ参照)で、三重大学名誉教授の奥村晴彦先生が偽ニュースに騙されない情報リテラシーについて講演されていたのだけど、聞きながら「あちゃー、しまったー」ということがあった。

例の、SPEEDI。2011年4月12日時点で、SPEEDIが、過去の3月12日の放射性物質の大気中の移動と降下を「予測」(つまり、「推測した」)という情報を、某新聞社の記事が読み違えて、3月12日の大気中の移動と降下状況がわかっていたのならば、それを公開すべきだったと書いていたと批判されていた。

これは私自身も耳が痛いというか、ある応用倫理学の入門書で、同じような誤りをしてしまった。なので、これはとても恥ずかしい。情報を確認したうえで修正を加えなくては、と思った次第。恥ずかしー。

フェイクニュースシンポジウム聴講記

2019年3月31日、立教大学太刀川記念館で開催された特別シンポジウム「フェイクニュースとどう向き合うかーメディアの現場と社会科学・情報科学の対話ー」を聴講しました。当日の配布資料と大谷のメモから聴講記録を作成したので、PDF化したもの(フェイクニュースシンポジウム報告2019年4月1日.pdf)をアップロードしておきます。文責は大谷にあります(大谷の聞いた限りで正確に再現していますが、発言者の意図や発言内容を十分正確に伝えていない可能性もあります)。

追記(2019年4月15日)::主催者の久木田水生先生から「Ubuntu」が「Ubunti」になっているという指摘をいただきました。その他誤字脱字やわかりにくいところがあったので、ファイルを入れ替えます。古いファイルをダウンロードした方は、破棄ください。

再追記(2019年4月19日):再び久木田水生先生からタイポのご指摘をいただき、修正をしました。久木田先生、丁寧見ていただき、ありがとうございました。

再々追記(2019年4月24日):さらに修正。4月23日、フェイクニュース関連の研究会が名古屋大学で開かれ、その会場で報告を投影しながら、久木田先生が説明された中で、またいくつか誤植等を発見。ファイル名はそのままです。またお気づきの点があれば、ご指摘を。

 

フェイクニュースシンポジウム報告2019年4月1日改訂4月19日.pdf