「次世代モビリティ社会を考える夕べ 第2夜『移動の価値とモビリティの未来』」

次世代モビリティを考える名古屋大学未来社会創造機構のレクチャー、聞いたよ。名古屋大学大学院情報学研究科の久木田水生先生がファシリテータで、講師は、京都市立芸術大学の磯部洋明先生と、豊橋技術科学大学の岡田美智雄先生。

磯部先生の講義は「宇宙にエクソダス」というテーマ。大学から帰る途中、iPhoneで見ながら(競馬中継を聞いてるおっさんみたいなイヤホンを見つけたので、それを耳にさして音声は聞きながら)帰ったんだけど、トンネルの多い特急の中で電波を見失って止まってしまって、途中で見れなくなってしまった。とほほ。

家に帰って、一人ご飯を食べながら(妻と子どもは、スマホでゲーム中)、岡田先生の「クルマとドライバーとの幸せな関わり方を探るー〈弱いロボット〉たちとのインタラクションを手掛かりとして」を視聴し始めた。まずは、先生の〈弱いロボット〉の研究について。ふらふらおどおどして頼りなく人間が手助けしないと思って、思わずごみを拾って入れてあげるゴミ箱ロボット。うちの保育園児はこういうのたぶん大好きなので、「かわいいのいるよー」と言って、ロボットたちの動くのを見せてあげたところ、案の定「かわいー」と大喜びであった。手をつないで一緒に歩いてくれるロボットや、何気なく、そして響きあう会話をして情報を伝える3匹のロボットたちを見ていると、「あー、保育園にこういうのいっぱいいるー」と、毎朝子どもを連れていく…一緒に手をつないで歩いていく保育園で見る子どもたちを思い出した。

さて、自動運転では、とくに人間と自動車が協調して走行するレベル3の場合、自動車の中には運転する主体が二人いる。ドライバーが自分の身体の延長として自動車を運転していると、ときにもう一人の主体である「何者か」が割り込んでくることになる。これはどうも気持ち悪いということで、先ほどの、響きあう「そうねそうね」とうなずきあう3匹の会話ロボット「NAMIDA」を搭載し、ロボットの「気持ち」や「考え」をドライバーに伝えることで、自動運転に伴う疎外感(運転する自律性を奪われ、ただ監視する存在になり、やがては飽きてしまい・・・)を緩和するとともに、自動車を取り巻く環境(いま赤信号、あそこに子どもがいる)と人間の知覚・認知とをつなごうと試みている(ここらへんの解釈は私のもので、岡田先生の説明はもっと違った)。

機械の気持ち・考えと響きあうことで、レベル3の「不快」かもしれない自動運転を共同作業に変えて、人間と自動車、そして環境との関係を再構築してしまおうというのはおもろいなーと思った。後半は、自分の部屋に引きこもってみていたんだけど、さっきのNAMIDAは子どもに見せてやろーということで、あとでYouTubeの映像をあさってみるつもり。

ということで、家でご飯を食べながら、おもろい講義を聴けるというのはいいものだ。